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リストマーク 小波と太陽のこと 

2014年02月06日 ()
 その日はとても静かだったから、曙はそっと部屋を抜け出して海を見に行った。普段は工廠から立ち昇る黒煙と金属音、それから警笛サイレンの音が止むことがなく続いていて、海になど頼まれても行きたくはなかったのだけれど、その日だけはまるで時が止まったのかと大真面目に疑ってしまったくらいに鎮守時から喧噪が消えていて、それは現実とはとても思えない状況だった。曙はそのままベッドの中で考えるのをやめて二度寝を決め込もうかとも思ったが、迷った後に起きることにしたのだった。隣のベッドでまだ規則正しいリズムを奏でている漣の邪魔にならないよう、細心の注意を払いながら、軍靴を履きかけて、しかしすぐに思い直してベッドの奥にしまっておいたよそ行きの、淡い色合いの靴を引っぱり出して身に着けた。我知らずほころびかけた頬を、そうと気が付いて慌てて整えた。
 誰も見ていないのにどうしてそんなことをしてしまうのだろう、と鏡台に映る仏頂面を眺めたあと、かぶりを振って曙はそっと漣の傍らを通り抜けてドアを開けたのだった。

 菊華寮の廊下もまた、しんと静まり返っていて、まるで知らない場所のように感じられた。肌に触れる空気自体がいつもとは違っている、いつもなら誰かしら自分よりも早く起きていて、廊下を流れる空気はそれに寄り添うようにして忙しなく行ったり来たりを繰り返していたし、寮長の吹雪と掃除委員長の白雪ーー白雪は誰に言われるともなく早朝から廊下の掃除を日課としていて、そのことを知っているのは早起きをして公務関連の仕事を始める吹雪と自主錬の走り込みに出る朧・陽炎・不知火、それから特に何をするでもないけれど朝になるとフラフラとしている曙くらいなのだが、演習や出撃ではまるで存在感を見せない白雪が早朝清掃をしているときはとてもいい顏をしていて、それを見た曙はつい、お掃除委員長と揶揄してしまって、それ以来白雪と上手く会話できなくなってしまっているーーが廊下に姿を見せているのがこの寮の日常だったはずだった。
 それでも曙は、そのことをそれほど気にしないで、外に向かった。そういう日があってはいけないかというと、いけなくはないからだ。何かが違うということは、何かいつもとは変わったことが起こるかもしれない。何か、素敵なことが起こるかもしれない。つとめてそう思い込もうとした。馴れないことはするものじゃない、ろくな事にならない。そういう意識はあったけれど、でもそれでは新しいことはうまれないし、いつもの日常から何も得られないのならこれからも何も得られないことに他ならないから、それなら新しい、何かが生まれて、それが自分にとって好ましいものであることを期待するくらいはしても良いだろうと思ったからだ。だいじょうぶ、今日は艤装を外していて体が軽いし、何よりお気に入りの靴は普段の硬質な安全靴のように乾いた音を立てることなく、白と臙脂で構成された正方形の敷き詰められたタイルとの間に気持ち良い摩擦音を響かせていて、心なしかいつもより歩調が速くなっているし、きっと今日は良い日になるに違いない。そういう気持ち、そういう考えこそが自分への祝福としてはたらくんだ。
 
 驚くほどに空は晴れ渡っていて、メガネ島ではとんとそんなものを見た記憶がなかった少女の心は躍った。空が広い、と感じられるのは、いつ以来だったろう。もうとうに思い出せなくなった昔のことのような気がする。昔、などと振り返ることができるほど彼女は生れ落ちてから時を経てはいなかったけれど、そのことを差し引いても、こんな青空を見たのは初めてではないか、というくらいに、曙の瞳はどこまでもつづく浅葱色の天蓋に魅せられるのと同時に、そこはかとない不安もまた感じている。霧深い島、いつもどんよりと薄暗く厚ぼったい雲に彩られたメガネ島の空は、こんな絵に描いたような姿を持っていたんだろうか。
 そこに、そよりと吹き渡る潮風が、髪飾りにあしらわれた輪花と、小さな鈴をちりんと揺らした。曙は呪縛から解けたようになって、視線を落とした。水平線までも見渡せるほどに海は凪いでいて、そこにはとても、自分たちと提督の心身を弱らせ傷めつける深海に繋がっているとは到底信じられないような穏やかな光がたたえられていた。
 曙は、誰かにそっと背中を押されたようにして海へつづくコンクリートの路を踏み出しやがて小走りになり、最後には突堤の先まで一気に走り抜けていった。やや荒くなった呼吸と心臓の鼓動が骨格を伝わって内耳に心地よいビートを届けてくれたので、曙の神経は知らず恍惚とした脳内麻薬成分を分泌させていて、それによって彼女の、ずっと心のそこでわだかまっていた何かコールタールのようにどろりとした黒い塊のことをわずかばかりでも忘れることを赦してくれた。

 打ち寄せる小波がフジツボと海苔に覆われたコンクリートと防波礫にぶつかって泡だっている。普段なら機械油と廃水で黒々とした粘っこい飛沫を飛ばして肌に張り付いてくる生臭い泡沫が、今は火照った体をほどよく冷ましてくれる冷却剤として心地よい感覚を与えてくる。曙は突堤に腰かけて、風にしばし当たった。
 これは夢だろうか、それとも、日常をひっくり返すような何かの前兆かと、片膝を抱くようにして曙はつらつらと思いを馳せた。
 
 不意に、同居人の顔が浮かび、曙は目が覚めるような驚愕にその胸を鷲掴みにされた。本当に脈絡がなく、そして突拍子のない想起であって、少女の表情は狐につままれたような、あるいは提督の思いつきで島風の腰に結わえつけられた凧が軽やかに疾駆する勢いにまかせて天に舞うかと思われた刹那に急降下して脳天にその天辺を突き立てられた龍驤のようなものとなってしまった。
 まだ、あの娘は眠りの領域に包まれているだろう。時間はきちっと守るし気遣いのできる子だ。自分のような、自分の感情すら思いのままにできない者であってもまるで昔からの友人のような振る舞いと受け答えをしてみせる頭の良さを持っている。だからこそそれに甘えてはいけない、という気持ちが生まれてしまって曙はどうしても、心を預けることができないでいる。艦隊編成に同時に加わることも多く銃火を共にする僚友としての信頼は築かれていても、同じように僚友として呼吸を合わせる者たちのように、寮に帰り同鍋の糧食を囲み胸の裡を吐露しあうような関係を持つところまで踏み出せないでいる。全ては自分の選んだことだ。そのことを後悔はしないししてはいけないのだ。
 
 先ほどまでの高揚感は露のように消え失せて、曙の心に重ぼったく澱が積もり出す。そんなものだ。どんな気晴らしだって、ほんのひと時だけそれが亡くなったように感じさせるだけのことで、荷物は放り出せないし消すことなんて叶わない。それどころ塵のように少しずつ降り積もっていって、気が付いたら山のごとくそびえて動かすことはおろか崩すことだってできやしなくなる。そういう事実を認めるという行為が山に土を盛ると知ってなおそれをやめることもできない。深海相手の砲火雷号踊る交戦は好きではないけれど、その最中だけは崩れない山に土を盛ることをしないで済む時間であるから必ずしも彼女にとっては悪い過ごし方というわけではないのだった。とはいえ、その戦闘がもたらす結果と影響が尋常でなく彼女以外の者には劣悪であることが少なくないために、それについては曙の憂いは増す一方だった。
 そんな具合で、らせんのように繰り返す堂々巡りは下方向にどこまでも潜っていって、それこそ自分は深海の生き物になってしまうのではないかというくらいにまで内うちにこもっていったその瞬間が、その到来だった。

 「さざなみが、立っていますなあ~」
 その声と独特の口調は忘れることができようはずがなく、曙の、濁って景色もぼんやりとしか把握できないくらいになった双眸は耳に響いた音の強さと三半規管に与えられた情報の僅かな時間差を正確に分析して発信源の位置を特定してみせた。今なら針の穴すら魚雷で通せるのではないかというくらいに、神経が一斉に活性化したのを感じたのだった。
 「漣が、立ってる」
 呆けたように呟いた長い髪の少女をまっすぐに見て、おどけたような顔を浮かべた同居人はすぐに口元をほころばせた。「そうじゃないんだなあ~もちろん、それも込みだから良いんだけども、っと」喋りながら曙の隣に座って、左右でまとめてゴムで束ねたやや軽い質の髪をゆらゆらとさせながら覗き込むようにして顏を近づけてくる。「わ、わかってるわよ!」つい先刻のことが蘇ってきて、曙は反射的に顔を背けてしまった。ああ、と胸の奥で嘆息する。
「静かだねえ」
 気にする風もなく、また脈絡を切るようにそう続けられたので、相手の心を害さなかったのなら良かったという思いが湧くのと同時に、無視されてしまったのだという感覚が裏から浮き上がってきた。そんな風に感じる自分というものの難儀さをつくづく感じながらも、これ以上相手に失策を取ってはならないという考えが曙の口を動かした。
「本当に、静かよね。こんなに静かなの、初めてかも」
 バカバカバカ、こんなどうでもいい返し。
「漣も、初めてかもしれない。曙が来るより少しだけの先輩だけど、ここまで静かで、それに、雲がないのは本当に珍しい」
 のってくれた。なんでのってくれるのよ。嬉しいじゃない。
「そうなんだ。なんなんだろうね」と続けながら、曙は視界が明るくなっていくのを感じた。
「皆目見当がつかないんだなぁ、そういうことを考えるのは吹雪と初春に任せようじゃないかね、曙くん?」大仰な身振りで悪戯っぽく笑うと、漣は、海の方を見つめながらつぶやくように、何かぼそぼそと言った。その言葉を聞き損ねて、曙はえっ、と漣の横顔を凝視して口元に神経を集中したのだけれど、やや曙のそれよりも色の濃い、健康的な厚さの柔らかな唇はもうその動きを終わっていた。
 何を言っていいのかわからなくなって、曙の心臓は一気に鼓動を倍にまで上げようとその働きを強めたので、たちまち曙のやや血行の良くない全身に血は廻ろうとして、結果、首筋から耳にかけての一部に急激に殺到した血流が、その白い肌を通して赤みを外に曝け出すことになった。それはつまり、血液の持つ熱量もまたそこに晒して、曙の頬やら耳やらに点在している温覚神経を刺激することでもあった。
 顔中に熱さを感じる。首から背中にかけて、その熱さという感覚に対するカウンターが働く。汗が滲み出す。それは、曙にとっては慣れ親しんだ感覚であり、同時に最も嫌な感覚の一つだった。そういう時の自分はみっともなくて、考えなしで、まったく心に余裕のない恥ずかしい姿をしているからだった。あまりにも情けなくて、曙は目を閉じて、ぐっとこらえようとしたのだけれど、あちこちに回った血流と熱は目元まで押し寄せてきていたから、曙の意志とは全く裏腹に、その熱と圧力は涙腺を強制的に開いてゆく。だめだ、こんな自分を見せたくないと、滲み溢れだそうとするものをふき取ろうとしたその手の甲を、突然ぐっと抑えられてしまって曙は戸惑いを隠せなかった。見開いた瞳の傍から堰を切ったように溢れ出る体液を流れるに任せたまま手元に向けた視線の先には、漣のややふっくらとした指先が、しかし痛みを感じないような繊細さで自分の手首を捕えているのが、おぼろげにみることができたのだった。その指からは、優しさを感じ取ることができたのだけれど、そのすぐ後に、それが優しさではなくて、不安と恐怖と、それを抑えようとする自制が引き起こしたものだと、そんなふうに感じられた。というのは、自らの手首に絡められた漣の指、その向こうにある漣の体から、微かに震えと、ともすればぐっと全身の力を以て握りしめそうな筋肉を制御せんとする葛藤が伝わってきたからだった。
 そのことに気づいたことで、曙の脳天まで上り詰めていた血流は落ち着きを取り戻し始めた。曙は、つい今まで姉のように自分を勇気づけようとしていた風だった漣の手がまるで母親を求めてすがりつく幼児のように錯覚して、知らずその掌を包むように、自らの掌を重ねた。
 びくり、と一瞬引っ込むような反応の後、その手はおずおずと、にぎり返してきた。
 曙は、なんだか心の中にあったあの黒々としてうず高く降り積もった塵芥の峰がずるずると溶けて崩れていくような、そんな気持ちになって、ただ無言でつないだ手の感覚に、心を委ねることにした。
 漣もまた、何も言わずに、海の方を見つめていた。

 突然、港から轟音が響いた。
 時間が動き出したように、あちこちで、喧騒が始まった。工廠から黒く粉っぽい煙が立ち上りだす。機械音に混じって霧笛のような蒸気音が空気を震わせた。
 気が付けば、空にはまた、雲が出てきていた。短い晴れの日は終わったのだ。海から寄せる湿った風と、軍港から上がる膨大な熱とが混じりあい、白く濁る。
 菊華寮へ続くコンクリートを、一人の少女が駆けてきた。「曙ー! 潮―!二人ともそんなとこにいてー!さんざん探したんだからねー! もうすぐご飯なんだから早く戻るのー!」凧を先輩にぶつける結果をもたらした快足の持ち主は、わざわざ二人のいる突堤の先まで迎えに走ってきたのだった。
「島風、ごくろうさまだったわね」そう、労いの言葉を口にした曙の顔を、ぎょっとしたように見て、それから頭に結んだリボンをちょろんと揺らして漣の顔を見つめた。漣はにかっと白い歯を見せて笑顔を浮かべた後、島風の背中を押した。「漣はお腹が減ったのです! いこっか島風!」「ちょ、ちょっとぉー!」「ようし競争だ! 勝った人がデザートのプリンを総取り!」「えーーー! ま、負けないんだからぁーーー!」
 曙はくす、と噴きだして、それを無意識に一瞬やめようとしたのに気づき、やめるのをやめて、それから、緩む頬を、そのまま緩むに任せた。これが今は精一杯だけれど、それが一歩目でいい。そう思って、駆けて行く二人を追いかけるように、駆けだした。
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[2014.02.06(Thu) 20:44] 艦これTrackback(0) | Comments(0)
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