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2008年04月16日 ()
■模式図。

ぽてまよ  素直   ぐちゅ子  (お子様ライン)

(素直)   みかん   とまり   (道理と器量を教えるライン)
                     
素直   素直パパ  京ちゃん  (愛情を教えるライン)

あくまで擬似的なものですが。
 こうして見るとわかるように、ぽてまよ以外は基本的にひねくれ気味。

 ぐちゅ子にとって、京ちゃんというのは「人と関わりあうことで得られる喜び」を実感する存在であり、とまりというのが「独自の規範を持ってはいるけど人の世の道理を知らない」ぐちゅ子にそれを示す存在。ぐちゅ子の造型というのは今の子供そのものの体現という部分があって、力も頭脳も申し分ないのだけれど、その精神性自体は未熟な子供のそれである、という状態。

 子供に対して親(というか大人)が教えなくちゃいけないものは「愛情と道理、それから器量」で、素直は道理と器量の面で未成熟です。かつては人と協力しないと生きることすらままならないくらいに厳しい現実があって、本来は道理を学ばなくては人は互いに仲良くやっていけなかった。それが、今は結構豊か時代というのがあって、互いに身を寄せ合って協力しあわなくても物質的には結構なんとかなってしまう。
 じゃあ他人と仲良くする必要はないのか、と言ったらそうではなくって、精神的な部分でやっぱり「1人で生きるよりかはみんなで生きた方が(悲喜こもごもあれど)いろいろあって良いよね」というのがある。でも、器量が足らないと「悲」に耐えきれない。

 あ、器量云々はアレですよ。tt話で使った「心のうつわ」とかそういうのとリンクしてもらえればよろしいです。想いを受け止めるのに必要な精神的な耐久性というかそういうの。

 ぐちゅ子はそういう、物質的には満ち足りているけれど孤独な存在を体現していて、それは素直の「悲しい想いをするくらいならもう誰かを必要以上に好きにならないようにしよう」という器量の小ささ、消極的な態度とリンクしているわけですよ。最初の頃のぐちゅ子は邪魔なものはとにかく切り裂いて排除してしまう(悪い子ではないので修繕はしてましたが)ような子でありました。

 素直・ぐちゅ子が持っているテーマは親から教わりきれなかったものを他人と関わることで得るよ、人と関わっていくことで心のうつわは育つよ、とかそういう感じのもので、そのうつわが最後の花とも関係してます。愛する人と過ごす日々が与える想いと記憶が心を育て、花になる。いずれその花は死とともに枯れて散ってしまうけれど、共に過ごした誰かに種を残すことで永遠に受け継がれていくものがあるよ、という感じですかね。
 
 ちなみに、素直の成長という部分で言うなら、ぽてまよの「死」を受け容れたことでそれは為された。具体的には母親が死んだ時には流せなかった涙(真実の涙というやつですねー)を流す事で素直は一つ大人になった。その死から逃げるのではなく、正面から受け止めた。その時点であの終わり方はアリなわけですよ。
 もし本当にぽてが昇天していたとしても、素直は立ち上がれるでしょう。1人ではないから。


以下、テキトーに。


・京ちゃん
 昨日は「大人な対応」としたわけだけれども、それは彼女の器量のなせる業なのでしょう。
 京ちゃんというのは常にマイペースでブレることのない芯を持っています。ある種「精神的に他者を必要としない」部分を持っていて、だから他者との関わりにおいて時に「意志の疎通に齟齬をきたしている」ことがあるにも関わらずその事に頓着をしない。ねね様がそこにツッコミをいれることで場は収まるんですけど、おそらく京ちゃんはねね様にフォローをされることを特別に意識したりはしないだろうし、ねね様のフォローなんかなくっても別にどうということもないのだけれど、敢えて止める事もしない。成り行きに任せる。吹く風のように、流れる水のように。
 言ってみれば、彼女は「気まぐれな善なる神様」としての趣を持っている。彼女は誰も助けようともしないし、誰からも助けられない。やりたいようにやる。ただ、その行為は誰かを傷つけないし、誰かを心地良い気分にさせるという意味で、善の要素を持っている。それによってねね様は救われる部分があるし、ある一面では物足りなさも感じている。ねね様の存在は、京ちゃんにとってはほんの小さなもの。彼女の器量、心の器のほんの一部を占める程度のもの。もちろん、取るに足らないということではないけれど、全体に占める比率という点において、10のうちの1と100のうちの1とではやっぱり異なっている。ねね様はそういう100の器量を持つ京ちゃんに惹かれながら、残り99のうちのいくつかをぐちゅ子に占められたりするのに苛立ったりするのかもしれず、同じく報われない想いに身を焦がす無道や初芝に共感してみたりもしているのかもしれないですなー。

・ねね様
 彼女はどちらかと言えば素直側の人間で、家族が家族なだけに「愛情を素直に表現することにわだかまりを感じて」はいるけれど、基本的には甘えん坊で器量の小さな子供。傷つきやすいナイーヴさを鋭い観察力とポーカーフェイスで守り、保っている中で「天然で妄想癖があるけど母親の包容力を持つ」みかんや「天然で話が明後日の方に飛ぶけど細かい事にこだわらない父親の大らかさを持つ」京ちゃんに対しては毒舌をもって甘えることができる。
 そういう中で、みかんが森山素直に、京ちゃんがぐちゅ子にご執心になることでその関係性が少しだけ崩れてしまっていく。と、そんな時に新たな器量の持ち主、むったんが現れるわけで。
 むったんは鈍感ではあるけど、周囲にそうそう流されたりしない豪胆さを備えていて、ねね様の「甘え」を受け止める度量を持っていたのでした、と。
(こういうひねくれた愛情表現の機微についてはは桑田乃梨子とか読むとよろしいです)

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[2008.04.16(Wed) 21:35] 雑記・アニメその他Trackback(0) | Comments(0)
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