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リストマーク true rears 最終回 

2008年04月04日 ()
■true tears #13 「君の涙を」
とりたてて纏めようとして書いてないし推敲もしない予定なの長文な上にかなり読みづらいかと思われます。注意。

▼石動乃絵という少女と、その兄
 彼女が孤独を選んだ、という石田さんの記事に納得。
 実を言うと、私は最初から最後まで石動乃絵のいう存在を好きになれませんでした。というのは、彼女は実に揺らがない存在であったから。
 全編通して彼女が心を動かしたのはおばあちゃんと眞一郎に対してのみであり、その他の一切に対して彼女は無頓着でありました。ご執心であった雷轟丸に対して墓を作るという対応すらできなかった。それは彼女の強さというよりも、万物に対する無関心さからくる気遣いの不足であった、と自分には感じられたのです。同様に、彼女は実兄である純に対しても非常に無関心であり、彼がどれだけ乃絵のために心を砕き、配慮をしているかを知ろうとはしませんでした。ただこれは家族である、ということを考慮に入れると乃絵の奔放さというのはちょっとばかり幼いだけの甘えである、とみることもできるわけですが、兄がバイク事故を起こした時、彼女は純の胸に飛び込みはしたけれど、それは彼を心配して、というよりは家族の喪失をただ恐れていただけのように見えたし、次の瞬間には眞一郎の動向に心を奪われていた。彼女にとって、純という存在は「庇護を与えてくれる家族」ではあったけれど、それ以上でもそれ以下でもなかった。おばあちゃんのように、彼女に涙を流させるような、彼女の心を震わせる存在足り得なかった。
 おそらく乃絵は、純がもし死んだとしても涙を流す事はない。きっと彼女は兄の死にすら心が震えないことを快くは思わないけれど、そんな自分を許せないということもまたないだろう。ただ淡々とそれを受け入れてしまう。それを純は痛いほどに理解していて、だからこそ乃絵から離れることを決心もした。自分がいなくなったところで、乃絵は生きていける。そもそも自分の庇護など最初から乃絵は必要ともしていなかった。 その事実は何よりも純を傷つけ、やりきれない想いに彼は身を焦がす。そんな乃絵の心をいとも容易く動かしてしまう眞一郎を「許せない」。自分のせいだ、と言う眞一郎を「許せない」。
 自分のせいだと認めることは、その影響力を認めること。乃絵が飛ぼうとしたのは確かに眞一郎が原動力で、純ではない。それが「許せない」。そしてそんな器量の小さい自分も。
 純は比呂美を解放するため、契約を解除する。自分のせいだ、という比呂美に、今度ははっきりと否定する。それは半分本当で、半分は嘘。比呂美の存在は、眞一郎を通して乃絵を動かすだけの力はあるけれど、彼女自身が乃絵に影響を与えることはまずない。かつて乃絵が「あなたは飛べない」と断言した相手である比呂美に、乃絵を突き動かすほどの存在感はない。そう、純は考える。実際にはそうでもないけれど。それでも、純は比呂美への優しさと、ささやかな意地悪の心を持って「あんたのせいじゃない」と言う。比呂美の心を負担を減らすためと、逆に比呂美の「自分のせいだと思いたい」という矜持を傷つけるため。
「あんたのこと、好きじゃなかった。これっぽっちも」
 そのセリフもまた、半分本当で半分は嘘。彼は少なからず、比呂美を好いていた。ただそれは恋というよりも共感に近いものであったと私には思えるけれど、少なくとも彼は比呂美に対して、等身大の器量を感じていた。誰にも揺るがされない乃絵と、その乃絵を動かすだけの強い芯を持っている眞一郎。そういう存在に恋心を抱き、どんな手段を使ってでも自分の目的を遂げようとなりふり構わない狡猾さを持たなければ生きていかれない弱さ。そんな部分を感じ取って、彼は彼女を解放するために上記のセリフを吐く。それが彼のせめてものプライド。

 ってああ、石動兄妹の話してるだけでなんだか満足してきたや。どうしよう。

 いくつか箇条書き。
・眞一郎と乃絵は完全に対等な関係。
 ある意味で「理想的なパートナーシップ」というか、正直老成した信頼関係であってもはや何にも崩される事の無い無敵の関係性なので、見ててつまらんのですよ。人にはそれぞれ異なった弱さがあって、それをいろんな人と補い合うことで生きていくわけですが、彼らにそれが必要になりそうにない。ヒーローとしては良いけど、人間としては完璧すぎて眩しすぎるから、ボクは比呂美とか純とかが好きだなぁ。

・眞一郎と比呂美はいずれ仲上夫婦レベルになれるか。
 眞一郎の照れ屋っぷり(そして朴念仁っぷり)は父親譲りで、比呂美の気性は理恵子ママンに生き写し。まったく!こいつらはまったく!
 まあ眞一郎はこれからも意図せず女の子に優しくしてしまったりして比呂美をやきもきさせるが良いさ。まあ基本比呂美の尻に敷かれて、締めるトコは締める感じかなぁ。
 第2期は2人の子供の物語で良いとおもうよ。

・みよきちとあいちゃん。
 このバカップルめ。まったく!こいつらは(ry
 お前らなんか幸せになってしまえば良いんだ。「愛子と三代吉が幸せになりますように!!」ほうら呪いをかけてやったぜ。ざまあ。

 以下、気になったところチェック。

▼赤(天空の実・夕陽・狛犬の咥えてた布・情熱)と白(雪・純粋さ・冷たさ・高潔さ・雲)
 基本線として、比呂美が赤で乃絵が白。理恵子ママンも赤(ていうかピンク)。
 かつて「雪はキライ」と言った比呂美。比呂美と眞一郎が会い、語らう時刻と差しこむ夕陽。食事時のあたたかさ。比呂美はエロ担当→みなぎる情欲。
 白は孤高の色。また、春には潔く溶けて消える色。穢れの無い、純粋な色。何にも囚われず空を漂う雲の色。その反面、冷徹で冷静、理性を失わない非人間的な色。

▼「見えてますよー」
 マジだ! 見つけた人スゲー。体育館の掃除は念入りにしようね!
 しかし比呂美はホントにお色気要員だなぁ( ´∀`)

▼「あ、できた」
 ただのお色気シーンじゃないよ! 比呂美だって少しずつだけど成長してるんだよ!胸とか(違

▼ブリ大根
 これくらい作れるようになりなさいよーという姑からのメッセージ。食いてぇ。
 

▼本当の涙を取り戻す物語
 人との繋がりがそれを生み出すっていうことでしょうね。乃絵はその切欠を眞一郎から得て、人を見ることをおぼえた。自分が世界を見なければ、世界もまた、彼女の心を震わすことはない。世界とは人と自分との関わりそのもの。
 


 恋物語、というのはそれ自体が「世界を語る」ということに等しいです。恋愛というのはその当事者にとって世界そのものであるから。でもそれだけに、恋愛以外のことについてはおざなりになりがちで、さらに恋愛物語っていうのは主人公とヒロインが結ばれる事をもってゴールとすることが多いために「それ以外に脇役」のことについてはあまり配慮されなかったりします。最近ではキミキスpure rougeあたりがそういう締め方をしたのが記憶に新しいところですが、自分は「みんなしあわせ」嗜好なのと「恋愛成就はゴールではなくスタート」という認識が強いので、結ばれた二人がキスしてめでたしめでたし、みたいなのは苦手なのでttを恋愛モノと位置付けるのが嫌であったのです。

 あと、○○エンドだ、どっちが勝った負けただというような見方をしちゃうと、この作品の美味しいところをまるまる味わわずに終わってしまうのが勿体無いというのもあります。
 この作品において、スタッフさんの意識としては「若者達の恋愛ドラマ」というのがあって、それに西村監督はシムーンで見せた「もがき、悩み、選ぶ」という成長・決断というテーマを絡めた。これが正しい、という答えは出さずにそれぞれがそれぞれの選択をする、というのがこの物語の帰結点であり、その結果として夢を追うことを選んだ眞一郎、自分にとっての「飛ぶ」ことを模索するために1人で歩き出すことを選んだ乃絵、眞一郎の側で生きることを選んだ比呂美。あとバカップルが一組。
 シムーンにおいて、シビュラ達が選んだ道はまさにそれぞれでした。ネヴィリルへの依存から脱して「女」であることを選び、戦災によって被害を受けた子供を育てる選択をしたパライエッタ。マミーナの高潔さを受け継ぎ、その優しさと強さをもってパライエッタとともに進むロードレアモン。愛する者と普通の家庭を築きつつあるモリナス。新たな”世界”を求めて男となることを選んだフロエ。オナシアの精神に共感し、殉教者となることを選んだユン。姉妹の愛を越えた何かを宿したまま現状維持を選んだカイムとアルティ。手に手をとって駆け落ちした(?)リモネとドミヌーラ。そして、彼女達から夢を託されたけれどそれはそれとして永遠に少女で有り続ける呪いと祝福に身を投じたネヴィリルとアーエル。
 彼女達が幸福を享受できるかどうかは明らかではないけれど、ただ、確実に言えることは、彼女達が互いをぶつけ合い、悩み、考え、戦って、そして選んだ答えがそこにあるということ。与えられたものではなく、自らが掴み取った未来。

 シムーンのときはSFファンタジーというガジェットがあまりに突飛でありすぎたために序盤で脱落者を出しすぎてしまったというのもあって、今回はありふれた身近な素材である「少年少女の青春物語」を選んだ、と邪推をしていみるわけですけど、まあ当たらずとも遠からずでありたいところ。

 そうはいっても、どんな受け取り方をしようとも「それが視聴者が選んだ視点」であるならば、それを受け入れるだけの「器量」は持っているのがこのtrue tearsという作品であろう、ということだけは言ってもよろしかろうなのです。それが西村信者の心意気。
 まあでも恋愛モノとしてだけ見ちゃうといろいろ投げっぱなしだったりするとこもあるんですが。

 さあそろそろシムーン見てみたくなってきた人もいるはずだ。DVD買っちゃえー。

 っていうか、考えてみれば比呂美って眞一郎に面と向かって好きって言ってなかったよね、とかそういうことに今気がついたような。ずっと好きだったとか、あきらめたくないとか、待ってるとか、いいよとかそういうことは言ったけど。まあそれ以上の態度と言動はしてるから別に良いんだけども。
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[2008.04.04(Fri) 23:50] アニメ最終回Trackback(0) | Comments(7)
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COMMENT

本当になのはさんが嫌いなんですねー(ぉ by まぬけづら
 でもああいう堅固さって脆さと鏡合わせで、張り詰めていたものが消えるとふっと簡単に壊れちゃいそうな不安定感に満ちていると思うのですよ。それこそが、揺らぎかなと。

 実際の乃絵は単に幼いだけというか、お祖母ちゃんが亡くなった直後からあらゆる理解を拒んだままと言いますか、そんな状態で、けれどどこかではそれを理解していて。だから、実のところ硝子のような脆さは持ち合わせていなかった。
 雪のような柔らかさ、変化できる可能性を、きちんと持ち合わせていた。

 僕は純ってその辺彼女を見誤っていたのだと思いますね。眞一郎だから見付け出せた、というのはあるんじゃないかなと。

 眞一郎はほら、あの子って見付け出す天才なので。(乃絵や)比呂美がどっかに消えてもすぐにゴールが分かっちゃう凄い子なので!!

 で、それに気付いたからこそ純は眞一郎を許せなかった、というのもあるのではないかと。自分が足踏みしているうちに先を越されたから、「なんだよ俺でも出来た筈なのに!」的なしょうもない嫉妬だけでなく。

>>彼女にとって、純という存在は「庇護を与えてくれる家族」ではあったけれど、それ以上でもそれ以下でもなかった。

 これ、どっちなんでしょうね。確かに純は乃絵を守ることに心を砕いて来たけれど、乃絵の方が彼を守っているようにも思えて。
 僕なんかはクロノクルとカテジナさんの関係が頭に浮かんじゃって、うーんといった感じ。連想するものを限りなく間違えているような気もしますが。

>>▼ブリ大根
>> これくらい作れるようになりなさいよーという姑からのメッセージ。食いてぇ。

「眞ちゃんははこういう日(たぶんあの日は寒かった)にシチューじゃないのよ、ブリ大根なのよ」
 というメッセージに僕も見えました(笑)
 もちろん、それは嫌味ではなく遠回しな助言として。まあ煮物って待つ必要のあるお料理なんで、「待つのって体力要るのよね」で土足で比呂美の心へ入り込まないようにというか「うんうん分かる、分かるわー」という無神経さを発揮しないように気を遣って会話をするための触媒だった可能性も無きにしも非ずの様な気がしないまでもありませんけどね!!

>>さらに恋愛物語っていうのは主人公とヒロインが結ばれる事をもってゴールとすることが多いために「それ以外に脇役」のことについてはあまり配慮されなかったりします。

 結ばれるまでの障害、想いを通じ合わせてからの障害。それを乗り越えるのが、恋愛物語の醍醐味ではないでしょうか。
 二人の繋がりがどうとかよりも、それを隔てるものにどう目を向けてどう対処するか。

 でまあ、「大切なあの子との関わり方」に目を向けると当然「想い人以外との関わり方」にも目を向けざるを得ないと思うんですよ。普段はそんなの意識してこなかったことでも、恋愛を通して初めて見えてくる。で、最後に自分が見えてくる。自分がどう在るべきかということに、考えが行き着く。
 ttは少年少女の物語なんですから、大人の恋愛なんか望めない。未成熟な者が成長する様も必要であるわけで、特に思春期なんていうのは面倒臭い。思春期(性を意識する)以前から好きだった女の子との関係なんてめちゃくちゃ面倒臭い。
 やっぱり恋愛をさせなければ、その辺の答え(周囲との関わり方、自分の生き方)って見えてこないと思うんですよねー。や、もちろんここで言う“答え”は一度出したものを撤回してもいい類のものではあるんですが(環境によっても変わってくるし、自身も変化するでしょうし)、人って言うのはそのときどきで自問“自答”することをしなくちゃいけないんだよっていうことを示すためには。

 何かグチャグチャ書いてしまったので、これは一度撤回してうちの方で記事を書くかもしれませんが、ご了承くださいね><


>>まぬけづらさん by むにゅ
 長くてわかりづらい( ’Å`;)
 私もまた乃絵を誤解しているうちの一人であるかな、というような想いが少なからずあって、だから純が乃絵をどう「誤解」していたのかとかちょっとキミの文章からは読み取れない。補足希望。
 
 あと、乃絵の次に難しいのが眞一郎であって、私は眞一郎にも共感よりかは異質感のが強いのです。この二人については、全体的にefの登場人物に抱いたような異質感を持っているといっておくのです。
 作家志望の主人公に幼馴染みとバスケ。唐突に現れた孤独なヒロイン。失われた「感情」と「二人で作り出した物語」。ありふれた素材とはいっても、efとttには共通項の多いアプローチがいくつもあった感じ。

>これは一度撤回してうちの方で記事を書くかもしれませんが
 かもじゃなくて書いてください。断言。もし余裕があるならefネタと組み合わせてとかどうかな、かなー。

了解です('A`) by まぬけづら
 ttの原作はCIRCUSっていうエロゲメーカーの家庭用向けブランド(セガでいうところのソニックチームみたいな開発部署。子会社とかではなく)が作っていて、efはCIRCUSを出奔した人たちが作ったD.C.Ⅱで。

 そんなことを考えると実にややこしいです。原作を元ネタ程度にしか扱っていないアニメ版ttですけど、かといって原作関係者の手が入っていないのかというとそんなことはないのかもー。

 ま、そういう制作の裏事情とかそういうのは無しで記事を書こうと思うのです。近日中に(予定は未定♪)<>

>>まぬけづらさん by むにゅ
 結局のところ、「そうゆうげーむ」を作ろうとする人達の方向性にある種の偏りがあるっていうことなのかしら。
 まあ実際問題、将来設計がしっかりしてる主人公ってアイデンティティ的な意味ではそうそう揺らがないもんだろうし、ヒロインがリア充だったら恋愛的ファンタジィが成り立たないとかそういう構造上の限定があったりするんでしょうけど。そういうところはちょっと考えてみたいとこかもしれない。ストイックな科学者は恋を必要としない、とか。

by まぬけづら
 や、efがD.C.Ⅱへのあてつけなら、ttはefへのあてつけなのかもなー、なんて思ったりするのですよ。

>>結局のところ、「そうゆうげーむ」を作ろうとする人達の方向性にある種の偏りがあるっていうことなのかしら。
 この辺は、

http://mugi4ishida.blog71.fc2.com/blog-entry-1044.html

 にお任せしようかなと。ラノベやエロゲやアニメに限らず、制作側がユーザーのニーズに応えようとすると競合他社で似通ったもの作り出されることがままある、というのはありそうです。

 また、ユーザーのニーズに応えるのとは別に同時代性とでもいいましょうか、複数のクリエイターが同時期に似たような設定、似たようなテーマの作品を同じ媒体で出しちゃうことってよくあるらしいですよ。高橋良輔さんがどっか言っていました。

……むにゅさんが知りたいのはそこ(テーマ、モチーフ)から導き出されるスタッフさん側の思想性とかってことなんじゃろなって思うと、僕にはちょっとお手上げかもー。かもー。鴨食べたい。

呼ばれたみたい? by 石田麦
>「そうゆうげーむ」を作ろうとする人達の方向性にある種の偏り
偏り、というよりは様式といったほうが適当かもしれません。
ラノベにしろその手のゲームにしろ、文章の書き方というのはそれなり決ったテンプレというのがあるものでして、その意味でラノベもゲームもとてもメカニカルに作られているなという印象はあります。
アニメでいえばいわゆるお約束というものですが、それはアニメが数十年の歴史を踏まえて築いてきた文法なのであり、ラノベもゲームのオタク文化の重みからは決して逃れられることはないのだと思います。
ですからいくつかの作品が似通った印象を与えるのは当然でしょうし、何よりオタク文化はそれ自体としては歴史が浅い。もちろん文芸なり何なりのほかの文化との繋がりが皆無というわけではないのですが、オタク文化の特色のひとつとしてその排他性が挙げられる。
だからオタク文化というのは今が過渡期なのかもしれないとも思いますし、その先にさらなる発展があるかもしれません。その前に自滅があるかもだけど。

by むにゅ
>>まぬけづらさん
>>石田麦さん 
 なるほどそういうモノを作るにはそういうモノを作る上でのお約束というのがあるのですねー。

 アニメなりなんなりを作るときの舞台装置にも「構文」というものは厳然として存在していて、それを外れることは保守的なオタには少々抵抗が強い、とそんな感じなのですかねー。
 まあ実際、非処女で服飾系デザイナー志望の自立志向ヒロインが主人公とオサレな恋愛をして、より高みを目指すために主人公を振る、なんていう文法はどう考えてもオタの皆さんの心の琴線に触れるとは思えないわけで。そう考えると似たような素材をいかに魅力的なコンテンツに仕立て上げるか、というのは外から見るよりやはり大変なことなのでしょうね。
 やっぱりなんだかんだで先詰まり感というのはある気もしますし、自滅もない話でもないかも。

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 でもああいう堅固さって脆さと鏡合わせで、張り詰めていたものが消えるとふっと簡単に壊れちゃいそうな不安定感に満ちていると思うのですよ。それこそが、揺らぎかなと。

 実際の乃絵は単に幼いだけというか、お祖母ちゃんが亡くなった直後からあらゆる理解を拒んだままと言いますか、そんな状態で、けれどどこかではそれを理解していて。だから、実のところ硝子のような脆さは持ち合わせていなかった。
 雪のような柔らかさ、変化できる可能性を、きちんと持ち合わせていた。

 僕は純ってその辺彼女を見誤っていたのだと思いますね。眞一郎だから見付け出せた、というのはあるんじゃないかなと。

 眞一郎はほら、あの子って見付け出す天才なので。(乃絵や)比呂美がどっかに消えてもすぐにゴールが分かっちゃう凄い子なので!!

 で、それに気付いたからこそ純は眞一郎を許せなかった、というのもあるのではないかと。自分が足踏みしているうちに先を越されたから、「なんだよ俺でも出来た筈なのに!」的なしょうもない嫉妬だけでなく。

>>彼女にとって、純という存在は「庇護を与えてくれる家族」ではあったけれど、それ以上でもそれ以下でもなかった。

 これ、どっちなんでしょうね。確かに純は乃絵を守ることに心を砕いて来たけれど、乃絵の方が彼を守っているようにも思えて。
 僕なんかはクロノクルとカテジナさんの関係が頭に浮かんじゃって、うーんといった感じ。連想するものを限りなく間違えているような気もしますが。

>>▼ブリ大根
>> これくらい作れるようになりなさいよーという姑からのメッセージ。食いてぇ。

「眞ちゃんははこういう日(たぶんあの日は寒かった)にシチューじゃないのよ、ブリ大根なのよ」
 というメッセージに僕も見えました(笑)
 もちろん、それは嫌味ではなく遠回しな助言として。まあ煮物って待つ必要のあるお料理なんで、「待つのって体力要るのよね」で土足で比呂美の心へ入り込まないようにというか「うんうん分かる、分かるわー」という無神経さを発揮しないように気を遣って会話をするための触媒だった可能性も無きにしも非ずの様な気がしないまでもありませんけどね!!

>>さらに恋愛物語っていうのは主人公とヒロインが結ばれる事をもってゴールとすることが多いために「それ以外に脇役」のことについてはあまり配慮されなかったりします。

 結ばれるまでの障害、想いを通じ合わせてからの障害。それを乗り越えるのが、恋愛物語の醍醐味ではないでしょうか。
 二人の繋がりがどうとかよりも、それを隔てるものにどう目を向けてどう対処するか。

 でまあ、「大切なあの子との関わり方」に目を向けると当然「想い人以外との関わり方」にも目を向けざるを得ないと思うんですよ。普段はそんなの意識してこなかったことでも、恋愛を通して初めて見えてくる。で、最後に自分が見えてくる。自分がどう在るべきかということに、考えが行き着く。
 ttは少年少女の物語なんですから、大人の恋愛なんか望めない。未成熟な者が成長する様も必要であるわけで、特に思春期なんていうのは面倒臭い。思春期(性を意識する)以前から好きだった女の子との関係なんてめちゃくちゃ面倒臭い。
 やっぱり恋愛をさせなければ、その辺の答え(周囲との関わり方、自分の生き方)って見えてこないと思うんですよねー。や、もちろんここで言う“答え”は一度出したものを撤回してもいい類のものではあるんですが(環境によっても変わってくるし、自身も変化するでしょうし)、人って言うのはそのときどきで自問“自答”することをしなくちゃいけないんだよっていうことを示すためには。

 何かグチャグチャ書いてしまったので、これは一度撤回してうちの方で記事を書くかもしれませんが、ご了承くださいね><

[ 2008.04.05(Sat) 14:54] URL | まぬけづら #d8HClGl2 | EDIT |

 長くてわかりづらい( ’Å`;)
 私もまた乃絵を誤解しているうちの一人であるかな、というような想いが少なからずあって、だから純が乃絵をどう「誤解」していたのかとかちょっとキミの文章からは読み取れない。補足希望。
 
 あと、乃絵の次に難しいのが眞一郎であって、私は眞一郎にも共感よりかは異質感のが強いのです。この二人については、全体的にefの登場人物に抱いたような異質感を持っているといっておくのです。
 作家志望の主人公に幼馴染みとバスケ。唐突に現れた孤独なヒロイン。失われた「感情」と「二人で作り出した物語」。ありふれた素材とはいっても、efとttには共通項の多いアプローチがいくつもあった感じ。

>これは一度撤回してうちの方で記事を書くかもしれませんが
 かもじゃなくて書いてください。断言。もし余裕があるならefネタと組み合わせてとかどうかな、かなー。
[ 2008.04.06(Sun) 17:08] URL | むにゅ #mYbggkm6 | EDIT |

 ttの原作はCIRCUSっていうエロゲメーカーの家庭用向けブランド(セガでいうところのソニックチームみたいな開発部署。子会社とかではなく)が作っていて、efはCIRCUSを出奔した人たちが作ったD.C.Ⅱで。

 そんなことを考えると実にややこしいです。原作を元ネタ程度にしか扱っていないアニメ版ttですけど、かといって原作関係者の手が入っていないのかというとそんなことはないのかもー。

 ま、そういう制作の裏事情とかそういうのは無しで記事を書こうと思うのです。近日中に(予定は未定♪)<>
[ 2008.04.06(Sun) 17:52] URL | まぬけづら #d8HClGl2 | EDIT |

 結局のところ、「そうゆうげーむ」を作ろうとする人達の方向性にある種の偏りがあるっていうことなのかしら。
 まあ実際問題、将来設計がしっかりしてる主人公ってアイデンティティ的な意味ではそうそう揺らがないもんだろうし、ヒロインがリア充だったら恋愛的ファンタジィが成り立たないとかそういう構造上の限定があったりするんでしょうけど。そういうところはちょっと考えてみたいとこかもしれない。ストイックな科学者は恋を必要としない、とか。
[ 2008.04.06(Sun) 18:20] URL | むにゅ #mYbggkm6 | EDIT |

 や、efがD.C.Ⅱへのあてつけなら、ttはefへのあてつけなのかもなー、なんて思ったりするのですよ。

>>結局のところ、「そうゆうげーむ」を作ろうとする人達の方向性にある種の偏りがあるっていうことなのかしら。
 この辺は、

http://mugi4ishida.blog71.fc2.com/blog-entry-1044.html

 にお任せしようかなと。ラノベやエロゲやアニメに限らず、制作側がユーザーのニーズに応えようとすると競合他社で似通ったもの作り出されることがままある、というのはありそうです。

 また、ユーザーのニーズに応えるのとは別に同時代性とでもいいましょうか、複数のクリエイターが同時期に似たような設定、似たようなテーマの作品を同じ媒体で出しちゃうことってよくあるらしいですよ。高橋良輔さんがどっか言っていました。

……むにゅさんが知りたいのはそこ(テーマ、モチーフ)から導き出されるスタッフさん側の思想性とかってことなんじゃろなって思うと、僕にはちょっとお手上げかもー。かもー。鴨食べたい。
[ 2008.04.06(Sun) 18:29] URL | まぬけづら #d8HClGl2 | EDIT |

>「そうゆうげーむ」を作ろうとする人達の方向性にある種の偏り
偏り、というよりは様式といったほうが適当かもしれません。
ラノベにしろその手のゲームにしろ、文章の書き方というのはそれなり決ったテンプレというのがあるものでして、その意味でラノベもゲームもとてもメカニカルに作られているなという印象はあります。
アニメでいえばいわゆるお約束というものですが、それはアニメが数十年の歴史を踏まえて築いてきた文法なのであり、ラノベもゲームのオタク文化の重みからは決して逃れられることはないのだと思います。
ですからいくつかの作品が似通った印象を与えるのは当然でしょうし、何よりオタク文化はそれ自体としては歴史が浅い。もちろん文芸なり何なりのほかの文化との繋がりが皆無というわけではないのですが、オタク文化の特色のひとつとしてその排他性が挙げられる。
だからオタク文化というのは今が過渡期なのかもしれないとも思いますし、その先にさらなる発展があるかもしれません。その前に自滅があるかもだけど。
[ 2008.04.06(Sun) 21:39] URL | 石田麦 #- | EDIT |

>>まぬけづらさん
>>石田麦さん 
 なるほどそういうモノを作るにはそういうモノを作る上でのお約束というのがあるのですねー。

 アニメなりなんなりを作るときの舞台装置にも「構文」というものは厳然として存在していて、それを外れることは保守的なオタには少々抵抗が強い、とそんな感じなのですかねー。
 まあ実際、非処女で服飾系デザイナー志望の自立志向ヒロインが主人公とオサレな恋愛をして、より高みを目指すために主人公を振る、なんていう文法はどう考えてもオタの皆さんの心の琴線に触れるとは思えないわけで。そう考えると似たような素材をいかに魅力的なコンテンツに仕立て上げるか、というのは外から見るよりやはり大変なことなのでしょうね。
 やっぱりなんだかんだで先詰まり感というのはある気もしますし、自滅もない話でもないかも。
[ 2008.04.08(Tue) 01:41] URL | むにゅ #mYbggkm6 | EDIT |

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