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リストマーク 差し当たりやりたい記事のメモ1/6分 

2008年01月06日 ()
■halogenさんへのコメントレス。
何気にこれが一番きついです。halogenさんの見ている世界とむにゅの見ている世界は全くと言って良いほどに違ってて、多分同じ物を同じ時間に同じ場所で見ても共通するイメージは抱かないのだろうと思うくらいに共通した部分が少ないというのを感じます。
で、あるので、halogenさんの一番主張したい事を把握して、それを受け入れるというか、受けとめるという時点で多大なエネルギーを消費します。なんか宇宙人さんと意思疎通しているような徒労感を味わってます。相手の言おうとしていることをちゃんと掴めているのかな、とかそのレベルで模索してる状態。
そんな感じなのでコメントレスには時間がかかるかと思いますがどうかご容赦です。

石田麦さんの記事に対してのリアクション。
これはhalogenさんとの議論にも結構関係のあることなんですけども。対話と議論とか、「嫌なら見るな」の話とか、考えてることはいっぱいあるのだけれどまとまってません。
私は基本的に内省人間なので、対話というものがとても苦手です。大事だと思っても、相手の言う事をわかることはとても大変だし、自分の意志を相手に伝えるのも大変。伝えてるつもりでも伝わってないことはままあって、それに気がつくことが必要だけれどなかなかそれすらも気付くのが難しかったりもするのです。

■新アニメの話。
録画分が溜まりつつあります。H2Oとペルソナ、ポルフィの長い旅は視聴済み。
現時点での最高評価作品はなんとポルフィです。ただのハウス名作だろう、とか正直なめてました。もっちーすごいよもっちー。たぶん別記事立てます。
H2Oはなんか掴みは微妙です。鬱コメディの流れはもう止められない感じか。
ペルソナはすごくアトラスでした。子安と緑川にちょっとテンション上がりつつ沢城のクオリティを堪能してました。あと岡本信彦が意外に芸風広いかもとか。下野紘の互換ぽくも思うけど。

■新年のご挨拶回り。
えーと、どうしよう。まだ一軒しか回ってないのよね。差し当たりオフ会で会った人については割愛ということにさせてもらおかな。しつこいのもアレだし。
あと、来てくれて年賀コメントくれた人も割愛ということで。ほら、二度手間になるし。
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[2008.01.06(Sun) 22:34] 雑記・アニメその他Trackback(0) | Comments(7)
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COMMENT

by halogen
こちらこそ、ついコメントを書きすぎてしまっていたら申し訳ありません。
パズル作家としての話は、前々からこうした考え方の違いを思いつつ、自分は作家としてどうなのかなぁとずっと考えていたことなんですよね。
で、パズルの話で返されたものですから思わず追記してしまいました。
なんだか最初の話からはだんだんずれている気もするのが申し訳ないです。

by 石田麦
どうも。
ほかの人の議論に口を挟むことの無粋を承知で少し思ったことを。
私は理屈のうえではhalogenさんに同意、心情のうえではむにゅさんに同意です。
気になったのはむにゅさんの、
>作品を作る人は絶対にそういう「伝えたい内容、伝えたい相手」を想定してます。
という部分でして、おそらくこれは作者が絶対に想定していることではないと思います。
たとえばカフカなどはもし想定していたとしたなら、作品を書く動機そのものがなかったでしょう。
ただ問題となってるアニメ作品の場合はどうかとなると、これはまた個別の問題になるのだと思います。
お二人の議論には参考になる部分が多いです。
では、途中から口を挟んだ無礼をどうかお許しください。

by むにゅ
>>halogenさん
ああいや、コメントいっぱいなのは嬉しいことなので全然かまわないです。単に自分の処理能力のなさのせいで返事が遅くなったりするのが心苦しいのです。
論点のずれは多分、私の喩え話のせいなんでしょうねー。ちゃんと伝わってるのかわかんないのでつい具体的な話で置き換えてわかりやすくしようとしちゃうのですけど、結果的にその置き換えのせいで話がややこしくなっちゃったりしてしまってるみたいです。
論点合ってるつもりで少しずつズレるのが自分の悪い癖だなーといつも思います。記事書いてても「自分が本当に言いたいのがなんだったか」と関係ないことを書いたりしてしまうのです。表現者としてはほんと未熟で申し訳ないです。

>>石田麦さん
内容的に関係あれば横レスもこちらは一向に構いませんよー。話の腰を折られるのだと困りますけどもね。

>おそらくこれは作者が絶対に想定していることではない
むむ。となるとカフカなどはどういった経緯で作品を著したのでしょうか。作品を書く動機がなかったのに何故書いたのでしょう。誰にも見せるつもりのない、自分の考えをまとめるためのメモやら、ただ精神的な何かを昇華させるための創作やらを家人・友人によって世に広められたとか手が勝手に作品を自動書記してしまったとか、そういうのでないとしたら、ちょっと理解の範疇を越えちゃいますね。
あ、念の為にお伺いしますけどカフカってフランツ・カフカさんですよね。世間的には『変身』の。というか私がそれしか知らなんですけど、まあそこは見識のなさを恥じ入るしかないのですけども。
『変身』なんかも「伝えたいこと/つたえたい相手」なしに著されたものだったりするのでしょうか。だとすれば「想いが伝わらない苛立ち」とか「なんか良くわからんけど世の中理不尽でイラつくよね」とかそういうメッセージを勝手に受け取ってしまった自分はカフカさんの意図を裏切ったことになるんでしょうか。それとも何も想定してないからどんな感想を持とうとどうでも良いってことなのでしょうかね。むむ。難しいです。

by 石田麦
どうも。それでは少し書いてみます。
まず話題はフランツ・カフカのことです。
むにゅさんの、
>ちょっと理解の範疇を越えちゃいますね
というのはまさにそのとおりです。カフカとはそういった異常な作家です。
そのことを理解するのに最適な作品に「家長の心配」という原稿用紙四枚ていどのものがあります。
この作品にはオドラデクというのが出てきまして、これがこのお話の肝なのですが、オドラデクって何がなんだかわからないんですよ。
カフカという作家は意味性の徹底的に欠如した作品を多く書いており、伝えたい内容という有意味からはまったくかけ離れた作家です。
そしてそういったことができるのは即ち異常であって、カフカというのは狂人か天才かの議論はおいておくとしても、他者を念頭に置かない、あるいは世界さえも彼の心の中にはなかったのでないか、そう思わせる作品というのが世にあります。
カフカ最大の「城」という作品なんて、ほんとにすごいですよ。
大爆笑必死です。保証します。

カフカは特例といえば特例なのでほかの場合も挙げておきますと、自己満足のための作品というパターンが考えられると思います。つまりはオナニー作品。
これはサド侯爵などが挙げられますが、ほかにも数多くの二次創作のSSなどがこの枠に入るのでないでしょうか。
だれにも見せることのない作品、というものが。
日記文学などもこのなかに入れていいかもと思いますが、これらはさいしょから作品として書かれたものでないので除外でしょう。

少し深入りして述べますと、文章を書きつづけるということは虚無がある気がします。
その虚無は他者というものを本質的に拒むものでないか。そしてだから書くということはどうしようもない孤独があるのでないか。私の主張の根元はこんなとこにあります。

以下、拙ブログの関係があるかと思われるエントリです。
よろしければご参照を。
http://mugi4ishida.blog71.fc2.com/blog-entry-390.html
http://mugi4ishida.blog71.fc2.com/blog-entry-649.html

by むにゅ
>>石田麦さん
ありがとうございます。『作者と読者のある信頼~』と合わせて読ませていただきましたー。いろいろと興味深いというか、腑に落ちた部分もありました。
カフカの著作についてはとても惹きつけられるものを感じたので、是非読んでみようかと思います。ありがとうです


自己満足のための創作、というのはわかります。私はそういったものも「誰かがそれを読んで喜ぶ」姿を想像して作ったりという側面があるものと認識してるわけですが、本当に「全く誰にも見せるつもりがない」作品というものが一体存在するのかな、というのはまだまだ議論の余地があるのかもしれないのだろうと思います。私が手遊びに絵を描くこと、落書きなんかは確かに誰かに見せることを目的とはしてないですが、誰かが見て賞賛してくれることを望んでいる側面も少なからずあったりするので。

文章を書くことの虚無、というのはまだ私には実感として感じられませんが、そういうものの片鱗は麦さんのカフカ関連記事から感じられるような気もします。私の感じるそれは石田さんの言うそれとはまた違うのかも、という気もするのですけれど。

オドラデクの記述を見ると思い出すのが宮沢賢治の『やまなし』のクラムボンだったりします。あれは全く何の説明もなくて、ただ笑ったり死んだりするらしいとしかわからない「何か」であるわけですが、表現の仕方はともかく、伝わってくるものには共通したものが感じられるような気がするのですよね。他の言葉に置き換えて表現できない、それはそれであるとしか形容できないもの。凡そ私達が知っているあらゆるものでない「何か」があったとして、それを人は表現し得るのかな、みたいなのと、それでも表現をしてみてその何分の一かでも伝わるものはあるのかな、みたいなのを私は感じてしまいます。

関係ないですがオドラデクってカフカ由来だったのですね。『カルドセプトⅡ』なるゲームのキャラクターとして出てくる星型の可愛い奴がオドラデクなる名称で何なのかと思ってたんですが、ちょっと親しみを持っちゃったりしてしまいました。いや本当関係ないんですけど。

by halogen
某所で考えたことで色々見えてきたので、ひとつ。

>自己満足のための創作
結局私が大好きなのはこれなんですよね。
で、“「誰かがそれを読んで喜ぶ」姿を想像して作ったり”というのは少なくとも私がパズルを作るという過程においては全く存在しません。
結果的にどんな形でも喜んでくれれば嬉しいですが、それはあくまでも結果。
魅せたいところの意識も、あくまでそういう質を持った問題を作りたいという自分の欲のみ。
というか、自分が楽しむため以外の何処に創作活動に意義なんてあるのかと(笑)。

見せるつもりが無いわけではないけど、理解なんてしてくれなくても構わないよ、というやつです。
むしろ単に自己満足の結果を見せびらかしたいだけと考えていただければ(笑)。
自分がやりたいことをその作品に詰め込もうとするその行為自身が楽しくて、作品を完成させることのみが快感。
その結果、それがどう扱われようがそんなことは知ったことではありません(笑)。

で、自己満足のための創作はすべからく制作者は本当に楽しんでそれを作ってると思うんですよね。
そんな楽しんでいる作者を見るのが私は一番楽しいわけです。


なんだか最初のダカーポII議論からはぶっ飛んでますね(笑)。
ちなみに、あれに関しては私が見て世界設定的、物理的ストーリー構成に破綻が無いから悪いものではないよ、というだけでここでの議論に該当する楽しさがあるとは思ってないです。

by むにゅ
>>halogenさん
やっぱり、見ているものが根っこから違うと、相手の伝えようとしてることを把握するのも難しいですねw

なんというか、どうもいろいろとお互いの言葉の使い方に差異があるから、どうでも良いはずのところに引っ掛かりを感じちゃうのでしょうね。

だから今回はツッコミいれたいとこは我慢します。感じ方の問題であって歩み寄れるとこでもないので。たぶんやればやるほど脱線していっちゃう気がします。

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こちらこそ、ついコメントを書きすぎてしまっていたら申し訳ありません。
パズル作家としての話は、前々からこうした考え方の違いを思いつつ、自分は作家としてどうなのかなぁとずっと考えていたことなんですよね。
で、パズルの話で返されたものですから思わず追記してしまいました。
なんだか最初の話からはだんだんずれている気もするのが申し訳ないです。
[ 2008.01.06(Sun) 23:09] URL | halogen #rKgl1FOk | EDIT |

どうも。
ほかの人の議論に口を挟むことの無粋を承知で少し思ったことを。
私は理屈のうえではhalogenさんに同意、心情のうえではむにゅさんに同意です。
気になったのはむにゅさんの、
>作品を作る人は絶対にそういう「伝えたい内容、伝えたい相手」を想定してます。
という部分でして、おそらくこれは作者が絶対に想定していることではないと思います。
たとえばカフカなどはもし想定していたとしたなら、作品を書く動機そのものがなかったでしょう。
ただ問題となってるアニメ作品の場合はどうかとなると、これはまた個別の問題になるのだと思います。
お二人の議論には参考になる部分が多いです。
では、途中から口を挟んだ無礼をどうかお許しください。
[ 2008.01.06(Sun) 23:33] URL | 石田麦 #- | EDIT |

>>halogenさん
ああいや、コメントいっぱいなのは嬉しいことなので全然かまわないです。単に自分の処理能力のなさのせいで返事が遅くなったりするのが心苦しいのです。
論点のずれは多分、私の喩え話のせいなんでしょうねー。ちゃんと伝わってるのかわかんないのでつい具体的な話で置き換えてわかりやすくしようとしちゃうのですけど、結果的にその置き換えのせいで話がややこしくなっちゃったりしてしまってるみたいです。
論点合ってるつもりで少しずつズレるのが自分の悪い癖だなーといつも思います。記事書いてても「自分が本当に言いたいのがなんだったか」と関係ないことを書いたりしてしまうのです。表現者としてはほんと未熟で申し訳ないです。

>>石田麦さん
内容的に関係あれば横レスもこちらは一向に構いませんよー。話の腰を折られるのだと困りますけどもね。

>おそらくこれは作者が絶対に想定していることではない
むむ。となるとカフカなどはどういった経緯で作品を著したのでしょうか。作品を書く動機がなかったのに何故書いたのでしょう。誰にも見せるつもりのない、自分の考えをまとめるためのメモやら、ただ精神的な何かを昇華させるための創作やらを家人・友人によって世に広められたとか手が勝手に作品を自動書記してしまったとか、そういうのでないとしたら、ちょっと理解の範疇を越えちゃいますね。
あ、念の為にお伺いしますけどカフカってフランツ・カフカさんですよね。世間的には『変身』の。というか私がそれしか知らなんですけど、まあそこは見識のなさを恥じ入るしかないのですけども。
『変身』なんかも「伝えたいこと/つたえたい相手」なしに著されたものだったりするのでしょうか。だとすれば「想いが伝わらない苛立ち」とか「なんか良くわからんけど世の中理不尽でイラつくよね」とかそういうメッセージを勝手に受け取ってしまった自分はカフカさんの意図を裏切ったことになるんでしょうか。それとも何も想定してないからどんな感想を持とうとどうでも良いってことなのでしょうかね。むむ。難しいです。
[ 2008.01.08(Tue) 01:13] URL | むにゅ #mYbggkm6 | EDIT |

どうも。それでは少し書いてみます。
まず話題はフランツ・カフカのことです。
むにゅさんの、
>ちょっと理解の範疇を越えちゃいますね
というのはまさにそのとおりです。カフカとはそういった異常な作家です。
そのことを理解するのに最適な作品に「家長の心配」という原稿用紙四枚ていどのものがあります。
この作品にはオドラデクというのが出てきまして、これがこのお話の肝なのですが、オドラデクって何がなんだかわからないんですよ。
カフカという作家は意味性の徹底的に欠如した作品を多く書いており、伝えたい内容という有意味からはまったくかけ離れた作家です。
そしてそういったことができるのは即ち異常であって、カフカというのは狂人か天才かの議論はおいておくとしても、他者を念頭に置かない、あるいは世界さえも彼の心の中にはなかったのでないか、そう思わせる作品というのが世にあります。
カフカ最大の「城」という作品なんて、ほんとにすごいですよ。
大爆笑必死です。保証します。

カフカは特例といえば特例なのでほかの場合も挙げておきますと、自己満足のための作品というパターンが考えられると思います。つまりはオナニー作品。
これはサド侯爵などが挙げられますが、ほかにも数多くの二次創作のSSなどがこの枠に入るのでないでしょうか。
だれにも見せることのない作品、というものが。
日記文学などもこのなかに入れていいかもと思いますが、これらはさいしょから作品として書かれたものでないので除外でしょう。

少し深入りして述べますと、文章を書きつづけるということは虚無がある気がします。
その虚無は他者というものを本質的に拒むものでないか。そしてだから書くということはどうしようもない孤独があるのでないか。私の主張の根元はこんなとこにあります。

以下、拙ブログの関係があるかと思われるエントリです。
よろしければご参照を。
http://mugi4ishida.blog71.fc2.com/blog-entry-390.html
http://mugi4ishida.blog71.fc2.com/blog-entry-649.html
[ 2008.01.08(Tue) 22:12] URL | 石田麦 #- | EDIT |

>>石田麦さん
ありがとうございます。『作者と読者のある信頼~』と合わせて読ませていただきましたー。いろいろと興味深いというか、腑に落ちた部分もありました。
カフカの著作についてはとても惹きつけられるものを感じたので、是非読んでみようかと思います。ありがとうです


自己満足のための創作、というのはわかります。私はそういったものも「誰かがそれを読んで喜ぶ」姿を想像して作ったりという側面があるものと認識してるわけですが、本当に「全く誰にも見せるつもりがない」作品というものが一体存在するのかな、というのはまだまだ議論の余地があるのかもしれないのだろうと思います。私が手遊びに絵を描くこと、落書きなんかは確かに誰かに見せることを目的とはしてないですが、誰かが見て賞賛してくれることを望んでいる側面も少なからずあったりするので。

文章を書くことの虚無、というのはまだ私には実感として感じられませんが、そういうものの片鱗は麦さんのカフカ関連記事から感じられるような気もします。私の感じるそれは石田さんの言うそれとはまた違うのかも、という気もするのですけれど。

オドラデクの記述を見ると思い出すのが宮沢賢治の『やまなし』のクラムボンだったりします。あれは全く何の説明もなくて、ただ笑ったり死んだりするらしいとしかわからない「何か」であるわけですが、表現の仕方はともかく、伝わってくるものには共通したものが感じられるような気がするのですよね。他の言葉に置き換えて表現できない、それはそれであるとしか形容できないもの。凡そ私達が知っているあらゆるものでない「何か」があったとして、それを人は表現し得るのかな、みたいなのと、それでも表現をしてみてその何分の一かでも伝わるものはあるのかな、みたいなのを私は感じてしまいます。

関係ないですがオドラデクってカフカ由来だったのですね。『カルドセプトⅡ』なるゲームのキャラクターとして出てくる星型の可愛い奴がオドラデクなる名称で何なのかと思ってたんですが、ちょっと親しみを持っちゃったりしてしまいました。いや本当関係ないんですけど。
[ 2008.01.09(Wed) 01:04] URL | むにゅ #mYbggkm6 | EDIT |

某所で考えたことで色々見えてきたので、ひとつ。

>自己満足のための創作
結局私が大好きなのはこれなんですよね。
で、“「誰かがそれを読んで喜ぶ」姿を想像して作ったり”というのは少なくとも私がパズルを作るという過程においては全く存在しません。
結果的にどんな形でも喜んでくれれば嬉しいですが、それはあくまでも結果。
魅せたいところの意識も、あくまでそういう質を持った問題を作りたいという自分の欲のみ。
というか、自分が楽しむため以外の何処に創作活動に意義なんてあるのかと(笑)。

見せるつもりが無いわけではないけど、理解なんてしてくれなくても構わないよ、というやつです。
むしろ単に自己満足の結果を見せびらかしたいだけと考えていただければ(笑)。
自分がやりたいことをその作品に詰め込もうとするその行為自身が楽しくて、作品を完成させることのみが快感。
その結果、それがどう扱われようがそんなことは知ったことではありません(笑)。

で、自己満足のための創作はすべからく制作者は本当に楽しんでそれを作ってると思うんですよね。
そんな楽しんでいる作者を見るのが私は一番楽しいわけです。


なんだか最初のダカーポII議論からはぶっ飛んでますね(笑)。
ちなみに、あれに関しては私が見て世界設定的、物理的ストーリー構成に破綻が無いから悪いものではないよ、というだけでここでの議論に該当する楽しさがあるとは思ってないです。
[ 2008.01.13(Sun) 09:34] URL | halogen #rKgl1FOk | EDIT |

>>halogenさん
やっぱり、見ているものが根っこから違うと、相手の伝えようとしてることを把握するのも難しいですねw

なんというか、どうもいろいろとお互いの言葉の使い方に差異があるから、どうでも良いはずのところに引っ掛かりを感じちゃうのでしょうね。

だから今回はツッコミいれたいとこは我慢します。感じ方の問題であって歩み寄れるとこでもないので。たぶんやればやるほど脱線していっちゃう気がします。
[ 2008.01.13(Sun) 14:19] URL | むにゅ #mYbggkm6 | EDIT |

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