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リストマーク Kanon9話とあさって7話における演出の比較 

2006年12月03日 ()
なんか疲れましたんで簡単に言います。演出がヘン。以上。

…もうちょっとだけ。

Kanonとあさっての方向。と間にある差は、その演出。

あさっての方向。では、ちょっとしぐさや間でキャラクターを描写しています。
ちょっとしたカットにもキャラクターの心情が込められていたり、何気ないセリフにもいろいろと情報が入ってます。
 例えば、買い物にやってきた椒子さんとからださんのこの会話。
「そういえば、ウチの電子レンジってケーキ焼けるのかしら?」
「オーブン、ついてましたよー?」
「あたし、チンしかしたことなかったけど…」
「焼けますってばー」
 この会話から、料理をしないということだけでなく、電子レンジにオーブン機能があることすら知らない椒子さんの無頓着さ、それと、人の家のレンジにオーヴン機能がついていることをしっかり把握しているからださんの料理に対する興味の大きさが窺えるわけですよね。
 お店に来るまでその事に気がつかなかった椒子さんは多分、ケーキを焼いた事はないんでしょう。そこまで考えてなかったからこそ不安になって尋ねているわけです。しかも2回。
 一方、からださんは以前にオーブン機能をしっかり確認してあったことから、いつかそれでケーキを焼いたりしてみたい、と思っていたんでしょうね。ケーキを作ることに気が行ってるから椒子さんの言葉よりクリームの位置が気になって仕方がない。ちょっと邪魔くさくなって答えがぞんざいになってさえいるわけです。
 …というような具合に、1つのシーンに折り込まれた情報量が交わされた言葉の数より多いくらいに描写がしっかりとしているわけですよ。

 それに対してKanonでは、原作がテキスト主体でビジュアル的な効果を使用できなかったこともあってか重要なことはセリフで補っていることが多かったんですが、原作準拠の脚本であることでその傾向がそのままアニメに直に影響してしまってます。
 描写で見せられる部分は描写で見せ、無駄なセリフは整理する――そういう過程がKanonでは徹底されていない、ということです。

 例えば、真琴の孤独感やその想いは大半がセリフによって決定的に補完されています。
「ねぇ…」
「ん?」
「こわい…」
「どうした?」
「よくわかんないけど、1人で寝てるといつのまにかものすごく暗いとこにいて、まっくらで、何も見えなくて、ひとりぼっちなの」
「心配するな。もう1人で出て行ったりしないから」
 全部喋っちゃってますが、これは本来、その行動や仕草によって示されるべき事。でも、その「孤独感」や「1人取り残される寂しさ」が、真琴の行動に全く反映されていないんですよね。
 基本的に祐一視点で描いている、というのも一因なんですが、基本的に「一人ぼっちでいるときの真琴」が描かれていないからそうなってしまう。
 翌日、熱を出して倒れた真琴はまともに動く事が困難になってきています。 そのはずでした。でも、学校に出かけようとした祐一の服の裾をいつのまにか握り締めているという離れ業を見せやがります。
 忍者か。
 そんな余裕があるはずはないんです。本来なら目を覚まして祐一がいないことに気付いたら声をあげるのが普通。こっそり背後に忍び寄って立ち上がるのを待っているなんて芸当はできません。
 絵面としては面白くてもリアリティがなさすぎますし、もし真琴の体力の衰えを描写するなら「階段をふらつきながら降りようとしてなかなか降りられない」というようなカットを入れたほうがよっぽど説得力が出るはず。
 で、祐一は祐一で「1人で出て行ったりしない」と約束しておきながら普通に学校に行ってるわけで。まあ、その時点では良いんですけど、真琴が高熱に倒れた後も悩みはしても学校に行こうとしてたり、寝ているとはいえ真琴を1人にして美汐と駅前で待ち合わせたりと、行動がおかしい。
 で、美汐のセリフがまた長い。
 セリフが長いから、演出が間延びしてしまって間がもたない。引きで撮ってみたり、角度を変えてみたりといろいろやってはいるんですけど、どうしてもそのカットそのものに意味があるとは受け取りにくくて、ただ時間を稼いでいるように感じられてしまうんですよね。
 意味が感じられるカットは、美汐が手すりを握り締めるカットだったり祐一が歯を噛み締めるシーンとか、そのくらい。
 妖狐が昔から災厄の象徴として~のくだりなんかは、それこそ狐が虐げられているシーンを挿入するとか、そういう工夫がされても良いはずだし、ぶっちゃけた話、端折ってしまっても良かったとおもう。謎は残るかも知れないけれど、テーマがぼやけてしまうよりは100倍マシ。
 シムーンがそういう意味ではいろいろ謎を残して終わったけど、結果としてそれが正解だったように、Kanonもそうやって「テーマ」にとってムダのある部分は排除すべき。

 計算され無駄なく作られているあさっての方向。に対して、Kanonは原作を吟味して絞っていくというシェイプアップが疎かになっている。
 それに加え、演出のベクトルが万人向けでなく、わかりづらい。
 この2点が違和感として感じる所以なのではないかなとおもうのです。
 
 もうひとつ例を挙げるなら、ラストのシーンで真琴が祐一に漫画を読んで、とねだるシーン。
「ゆーいち、ごほん、よんでー」
「なんだ、またこれか」
「よーんでー」
「よしよし、なんだって読んでやるぞ。『恋はいつだって唐突だ』 …ほら、ページを見ないと話がわからなくなるだろ」
 ここはうつ伏せになった2人を背後から撮っていて、そこから祐一のアップ→真琴のアップ、というカット割りになってるんですが、問題はそこ。
 ここは、真琴の視線がキーポイントになっていて、それは本を読んでもらう時に真琴が祐一を見ている、という点なんですよね。
 真琴は本が読みたいんではなくて、ただ祐一にかまってほしいだけ。だから漫画ではなく祐一を見つめているわけですが、何故かその視線が描かれてない為に、祐一のセリフがないとそれに気付く事すらできないんです。
 そして読み終わるわけですが、その時もやはり真琴の視点が画かれていない。その頭の角度からやっぱり祐一を見ていた、という見当は付くんですけど、それを何故映像で表現しないのかがわからない。きっと祐一が本を読み聞かせている間もずっと真琴は祐一を見つめ、声を一心に聞いていたはずなのに、そういう描写も一切されないんですよね。
 ここで読んでいる漫画は「初めて真琴が祐一に読んでもらった本」でもあり、その内容が今後の伏線となっている、という部分もあるんですが、決してそれだけのシーンではないんです。
 真琴は祐一だけずっと見ていて、その行動はすべて祐一中心にまわっている、ただそれだけのことが描写しきれていないのですよ。

 そういうところで描写すべきところが描写されず、逆に絞るべき場所は残されてしまう。それはこのKanonという作品のテーマを理解する上でのノイズとなり、キャラクターへの感情移入も難しくしているのはないでしょうか。

 秋子さんの気遣いとか、名雪の複雑な気持ちの移ろいなんかは上手く描写されてるんですけどねー。
 
P.S. 石原監督、2クール目からが勝負みたいなこといってましたけど、真琴は捨て石ってことですか?

★こんな駄文にTBどもです( ノヮ`)
いやあああああ→アニよりすぐれた弟なぞ存在しねえ! さま
ぐおおおお、椒子さんは→サトシアキラの湾岸爆走日記(自転車でね♪)改 さま
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[2006.12.03(Sun) 00:56] 未分類Trackback(2) | Comments(4)
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COMMENT

by サトシアキラ
 どうもこんばんはです。

 私の記事で少し取り上げさせていただきました。
 むにゅさんやチャベス兄者の考察力には恐れ入ります…自分も、もう少しストーリー以外の箇所について注意を払ってみる必要がありそうです。

返>サトシアキラさま by むにゅ
 サトシアキラさん、こんばんわですー★

 ご紹介ありがとうですー、恐縮です。
 私も普段はアニメを完全にぼけーっと見ているだけなタイプなので、なかなか細部まで見てどうこう、というのができないのです。だからサトシアキラさんの思いはいたいほど感じてしまいますねー。
 ですから、アニメを見る時はある程度「どう見るか」を決めておくと良いかもしれないですよね。
 「萌え特化」「人物描写」「細かい演出」「ネタ」、それぞれの番組がウリにしているものをいかに見極めるか、というのが大事なのだとおもいます。それを間違えると マンネ(゚⊿゚) ってなっちゃいますから。

 私でいうと、Kanonの見方がちょっと番組の意図とズレちゃってるので、結果ボロクソに叩いちゃってるんですよね。反省しないといけないとこです(あせあせ 
 ネギま!?とかGAる~んとかはそういう意味では作品の方向性を視聴者が誤解しているパターンですよねー。
 話が逸れました。
 
 あさっては本当に丁寧に作られているので、「からださんえろいよからださん」的な見方だけで視聴するのって絶対もったいないとおもいます。
 ストーリーを追うのも一つの楽しみ方ですけど、やっぱり一番この作品が伝えようとしているのはキャラクターの心の動きと、それに綿密に連動した行動と情感なのだとおもうので。
 まあ、それに匹敵するくらいの勢いで「おしり~ふともも」のバックラインへの情熱を感じるのも確かですw

by サトシアキラ
 度々失礼します。

>Kanonの見方がちょっと番組の意図とズレちゃってるので

 Kanonは、『ノベルゲーム』としての原作を余りに忠実に再現しようとしているが故に、結果的に作り手側の手が縮こまってしまっているように見えるパターンでしょうか。
 でも、確かにむにゅさんのような見方を期待させる作品であることも確かなんですよね。題材的にも。

>ネギま!?とかGAる~んとかはそういう意味では作品の方向性を視聴者が誤解しているパターンですよねー。

 ネギま!?の原作はあくまでキャラ重視なのに、投げられているのは変化球というところに視聴者が混乱している感じでしょうか。

>あさっては本当に丁寧に作られているので、「からださんえろいよからださん」的な見方だけで視聴するのって絶対もったいないとおもいます。

 見ていてひしひしっと感じます、この作り込みの良さは。これで他の何かを感じ取れ無ければ正直アニメファンやっている価値がない…とは余りに極端な言い分ですが、
 少なくとも色々な事を吸収できる作品であることは分りました。

>まあ、それに匹敵するくらいの勢いで「おしり~ふともも」のバックラインへの情熱を感じるのも確かですw

 これも作り込みのなせる技/業でしょうか(笑)。

 それでは、連投おさわがせしました。

返>サトシアキラさま by むにゅ
お帰りなさいませー★

>Kanon
 そうですねー。作り手がどう考えてるかはともかく、そういう印象は受けちゃってますよねー。
 映像、それとBGMも原作そのまま(アレンジもなし)なんですよね。原作ではテキスト主体で「冬の町」という静寂がメインのゲームに合った「優しくてせつない」メロディーラインがとてもムードを盛り上げてくれてましたけど、アニメではちょっとパンチ不足なのは否めないかな、と思います。
 原作ファンは音楽聴いただけでウルっときちゃいますけど、そういう下地がないと「動き」が加わって格段に強化された映像を受け止めるだけの力に欠ける、という感じがしますねー。

>ネギま!?
 やっぱり、原作の方向性からかけ離れすぎてるんでしょうねー。キャラ萌えとお色気重視の原作に対して、アバンギャルドでシュールな新房イズムが相容れない、ということでしょうか。
 ぱにぽには元々「不条理シュール」な漫画だったので、そこにやる気と色気を注入することで躍動感に溢れたはっちゃけアニメになった…要するに原作の方にそれを受け入れられるだけの大らかさがあったんですよね。でもネギまのほうは…?
 なんて私は考えてみるわけですけど。
 
>あさって
 いろいろ吸収してくださいな♪

>作りこみ
 アレはスタッフの趣味かとw フェチカットは必ず描いた人の好き度が込められてますから、どんなアニメでも「愛を持って描かれた」フェチカットは魂がこもります。私はそういうエロが大好きです。

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COMMENT

 どうもこんばんはです。

 私の記事で少し取り上げさせていただきました。
 むにゅさんやチャベス兄者の考察力には恐れ入ります…自分も、もう少しストーリー以外の箇所について注意を払ってみる必要がありそうです。
[ 2006.12.10(Sun) 21:32] URL | サトシアキラ #- | EDIT |

 サトシアキラさん、こんばんわですー★

 ご紹介ありがとうですー、恐縮です。
 私も普段はアニメを完全にぼけーっと見ているだけなタイプなので、なかなか細部まで見てどうこう、というのができないのです。だからサトシアキラさんの思いはいたいほど感じてしまいますねー。
 ですから、アニメを見る時はある程度「どう見るか」を決めておくと良いかもしれないですよね。
 「萌え特化」「人物描写」「細かい演出」「ネタ」、それぞれの番組がウリにしているものをいかに見極めるか、というのが大事なのだとおもいます。それを間違えると マンネ(゚⊿゚) ってなっちゃいますから。

 私でいうと、Kanonの見方がちょっと番組の意図とズレちゃってるので、結果ボロクソに叩いちゃってるんですよね。反省しないといけないとこです(あせあせ 
 ネギま!?とかGAる~んとかはそういう意味では作品の方向性を視聴者が誤解しているパターンですよねー。
 話が逸れました。
 
 あさっては本当に丁寧に作られているので、「からださんえろいよからださん」的な見方だけで視聴するのって絶対もったいないとおもいます。
 ストーリーを追うのも一つの楽しみ方ですけど、やっぱり一番この作品が伝えようとしているのはキャラクターの心の動きと、それに綿密に連動した行動と情感なのだとおもうので。
 まあ、それに匹敵するくらいの勢いで「おしり~ふともも」のバックラインへの情熱を感じるのも確かですw
[ 2006.12.10(Sun) 22:10] URL | むにゅ #mYbggkm6 | EDIT |

 度々失礼します。

>Kanonの見方がちょっと番組の意図とズレちゃってるので

 Kanonは、『ノベルゲーム』としての原作を余りに忠実に再現しようとしているが故に、結果的に作り手側の手が縮こまってしまっているように見えるパターンでしょうか。
 でも、確かにむにゅさんのような見方を期待させる作品であることも確かなんですよね。題材的にも。

>ネギま!?とかGAる~んとかはそういう意味では作品の方向性を視聴者が誤解しているパターンですよねー。

 ネギま!?の原作はあくまでキャラ重視なのに、投げられているのは変化球というところに視聴者が混乱している感じでしょうか。

>あさっては本当に丁寧に作られているので、「からださんえろいよからださん」的な見方だけで視聴するのって絶対もったいないとおもいます。

 見ていてひしひしっと感じます、この作り込みの良さは。これで他の何かを感じ取れ無ければ正直アニメファンやっている価値がない…とは余りに極端な言い分ですが、
 少なくとも色々な事を吸収できる作品であることは分りました。

>まあ、それに匹敵するくらいの勢いで「おしり~ふともも」のバックラインへの情熱を感じるのも確かですw

 これも作り込みのなせる技/業でしょうか(笑)。

 それでは、連投おさわがせしました。
[ 2006.12.10(Sun) 23:28] URL | サトシアキラ #- | EDIT |

お帰りなさいませー★

>Kanon
 そうですねー。作り手がどう考えてるかはともかく、そういう印象は受けちゃってますよねー。
 映像、それとBGMも原作そのまま(アレンジもなし)なんですよね。原作ではテキスト主体で「冬の町」という静寂がメインのゲームに合った「優しくてせつない」メロディーラインがとてもムードを盛り上げてくれてましたけど、アニメではちょっとパンチ不足なのは否めないかな、と思います。
 原作ファンは音楽聴いただけでウルっときちゃいますけど、そういう下地がないと「動き」が加わって格段に強化された映像を受け止めるだけの力に欠ける、という感じがしますねー。

>ネギま!?
 やっぱり、原作の方向性からかけ離れすぎてるんでしょうねー。キャラ萌えとお色気重視の原作に対して、アバンギャルドでシュールな新房イズムが相容れない、ということでしょうか。
 ぱにぽには元々「不条理シュール」な漫画だったので、そこにやる気と色気を注入することで躍動感に溢れたはっちゃけアニメになった…要するに原作の方にそれを受け入れられるだけの大らかさがあったんですよね。でもネギまのほうは…?
 なんて私は考えてみるわけですけど。
 
>あさって
 いろいろ吸収してくださいな♪

>作りこみ
 アレはスタッフの趣味かとw フェチカットは必ず描いた人の好き度が込められてますから、どんなアニメでも「愛を持って描かれた」フェチカットは魂がこもります。私はそういうエロが大好きです。
[ 2006.12.12(Tue) 00:44] URL | むにゅ #mYbggkm6 | EDIT |

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 束の間だったのはの二人の関係。そしてそれは、一枚の写真であっというまに脆くも崩れ去ってしまう。 ぐおおおお、椒子さんは迂闊にもあんな写真をっ!そりゃあからださんにしてみりゃショックもいいとこだろうなぁ…今まで無関係と信じていた二人がそんな関係だったとは

むにゅさんが「Kanon」の問題点を考察してくれました!「Kanon9話とあさって7話における演出の比較」うちのグダグダな記事なんかよりむにゅさんの考察の方が100倍参考になる!チャベスの力では今回の「Kanon」
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